エウラリアの楔 1st fragment CD 『エウラリアの楔』 特設サイト

『永久(とこしえ)の 愛しい人よ 私はその影を探す

 でも見つけられない

 この広い海のどこかに あなたはいるのかしら

 神よどうか 戻してほしい

 私のとても大切な あの人を



 夜があけて 波は静かに 私はその音を聞く

 けれど返事はこない

 この広い海のどこかで あなたは何を思う

 海よどうか 伝えてほしい

 私のとても大切な 愛と夢 』






深く暗い海の上で少女が歌うその歌は、昔母がよく歌っていた歌だった。
航海へ繰り出す父を笑顔で送り出した後、母はいつも、涙を浮かべて夜の窓に向かい、 祈りをささげる様に繰り返し、繰り返し……。
そんな時の母は、今思えば『母親』の顔をしていなかったのかもしれない。


「こんな所へいらしては、お風邪を召されますわ」


懐古の情を振り払うように、アナスタシアは甲板の上で歌う少女に声をかけた。
今自分が思うべきは、失った過去の事ではないのだ。
守るべき物のためには余計な感情など無用の長物だ。

おそらく泣いていたのだろう。
振り返った少女の目蓋は夜露に濡れたかのようにしっとりと水気を帯びている。


「……お父様が教えてくださったの。大事な人が海に出たら、その航海の無事を祈りながら歌うんだ、って。 お父様も昔、大事な大事なお友達のためによく歌ったのですって」


スン、と鼻を啜りあげ、努めて明るく笑おうとする少女に、アナスタシアの胸はわずかばかり痛んだ。
ここはエスパーニャ海軍将校レオン・イグナシオ・エヴルーの戦艦 『Blanca noble sirena(白き気高き人魚)』号の甲板である。
さすがに大艦隊を率いる指揮官の母船なだけあり、昼夜を問わず至る所で見張りの兵が巡回しており、少女が一人室外へ出ようとも、 強固な守りによってその身の安全は保証される。


「それほどまでに思いを込めて歌っておいでですもの。きっとご無事ですわ」


そういうと、アナスタシアはその小さな体をすっぽりと覆うように厚手の上着を掛け、海風がこれ以上彼女を 傷つけないよう、その手を引き、部屋へと戻ろうとした。


「アナスタシア、どうしてアナスタシアは何も言わないの?」

「え……?」


突然の問いに、アナスタシアの歩みがピタリと止まる。


「お父様が亡くなってから……このお船に来るまで、あなたは何も言わないわ」


少女は曇りの無い瞳で貫くかのように、まっすぐとアナスタシアを見る。


「私を抱えて足でまといになる事もたくさんあったでしょう?お父様ともとっても仲良しだったんですもの。 悲しくないはずがないわ。何でもいいの。思っている事を私に吐き出して、 少しでも楽になってほしいの。それくらいしかできないけど、アナスタシアの力になりたいの」


目にいっぱいの涙を浮かべて抱きついてくる少女の純真さに、自分の心の奥底の黒く薄汚い物を見透かされてはならない。
彼を守るために、彼だけでも確実に助かるように仕向けた自分の行いを。

アナスタシアは少女の涙を拭い、しゃがみこんで目線を合わせその小さく柔らかな手を握った。


「ありがとうございます。私の事をそんなに気遣ってくださって。でも、昔大切に思っていた人に 気持ちをぶつけすぎて……大失敗した事があるのですわ」


努めて笑顔を作り、ゆっくりと言い聞かすように、アナスタシアは少女に言う。


「アナスタシアでも失敗する事があるのね」

「無論ありますとも。ですから、私怖いのですわ」

「それで、その人とは仲直りできたの?」

「さぁ……。今は遠く離れて暮らしておりますから。私なりに愛しておりますけれど、あちらどうでしょうか。 ふふ、わかりませんわ。それ以来自分の感情を表に出すのは苦手になってしまいましたの。壊れて、元に戻らないような気がして」

「そう……」

「さぁ、お話の続きはお部屋に入ってからにしましょう。お風邪を召していたら大変ですわ」


そういうとアナスタシアは夜風の吹く海を背に、少女の手を引き部屋へと入って行った。